僕のコロナ記 3月29日 沖縄から長野へ 静かな東京

大学が4月2日から始まるというので地元沖縄から長野へ3月29日に戻ることになった。始まりが延期されるのではないかという僕の希望的観測は見事に外れ失意の中で空港に向かう。このコロナ禍の中であるが那覇空港には多くの人がいた。大学進学か就職のためか内地へ渡る人と、それを見送りにきた人々、和気あいあいとしているこれらの人たちは皆一様にマスクで顔を覆っていた。前日の東京行きの便は半分以上が欠航になったと聞いたがこの日の便に欠航はなさそうだった。10時15分発羽田空港行の飛行機に乗るため9時半には保安検査場を通過した僕は21番登場口前のベンチに座り、しばらくして異変に気づいた。登場案内が始まらない。飛行機の前輪に異常があったようで飛行機は飛ばず、3時間後の便に振替という事になった。3時間は待つ時間にしてはかなり長い。少し気持ちがマイナスに依りかけるが添乗員からもらったお食事券2000円分で気持ちを戻した。僕は現金な男だ。

三時間後の便は満員だった。皆マスクをしてこころなしか静かであるように感じた。どこかコロナを恐れているのかもしれない。

少し寝てspotifyニッケルバックとミツメとナダサーフを聞いていたら東京についた。気温は13度だという。沖縄で1ヶ月過ごした僕にはかなり肌寒く感じた。京急に乗り(電車は慣れていないので間違えているかもしれない)新宿駅に向かう。途中電車が駅ではないところで完全に止まったのでイヤホンを片耳だけ外してアナウンスを聞くと人身事故だといった。向かいの席に座った三人が飛び込みかなとつぶやいていたのを聞いた。これが東京なのだと感じた。日常生活の線上で知らない人が死ぬ街だ。

動き出す電車の窓外、街は曇り空の下桜が満開だった。桜は青空よりも曇りが映える。対してその下には人がいなかった。この前日から出されていた外出自粛要請が現実のものであるとこのときまざまざと感じた。どの駅のホームにも人はまばらで山手線ですら車内に人は数えるほどしかいなかった。

どこかほの暗い新宿駅からバスタ新宿へ向かい高速バスのチケットを取る。この情勢のなか都から脱出を図る人々でチケットを取れないのではないかと心配していたがそんなことは杞憂に過ぎず意外にも席は空いているようだった。

バスの車内は僕を含めて4人しか乗っていなかった。運転手と乗客三人、高速バスに揺られて長野へ向かう。東京から長野へ近づくにつれて桜ではなく雪が見えてきた。この日は久しぶりの寒波だった。